2021年11月17日水曜日

今日の10分読みシリーズ日記

現在は、古事記、旧約聖書、コーラン、インド思想史、バガヴァット・ギーター、日本妖怪大全、グリム童話、を読んでいる。

20211208

今朝の旧約聖書読み。サムエル記下15章。前回、アブサロムは王と和解したかのようだったが、その後、アブサロムは反逆の準備を始めだした。あの王のもとでは裁定が正しくないと吹聴するようになる。そしてヘブロンへ行き、反逆の態勢を作り出す。王はそれを聞いて逃げ出す。王宮に側女10人残す。

レビびと全員が神の箱を担いでいたが、ダビデ王は彼らを都へ帰した。ツァドクとアビアタル、それぞれの息子らアヒマアツとヨナタンも帰す。王はアヒトフェルの助言を覆せと言い。いっぽう、アブサロムはダビデ王の顧問だったギロ人アヒトフェルを迎える。なおアブサロムもあのアムノンもダビデの子。

つまり、レビびとたちをアブサロムのいるエルサレムに置いてギロ人アヒトフェルの助言を覆すよう言ったということ、なのだろう。

今朝のコーラン入門読み。コーランに短いまとまりが混在しているのは、コーラン曰く、こころを鍛えるため、とのこと。

20211206

今朝のコーラン入門読み。形式論が続く。コーランは韻を踏んだりなんだりと複雑のようである。繰り返しがあるのは説得力を増すリフレイン効果と言われている。

今朝の旧約聖書読み。サムエル記下14章。ヨアブが知恵ある女に自分の言わせたいことを教えて、ダビデに会わせて、前回アムノンをあれしたアブサロムを許すよう話をさせた。ダビデはそれとわかったが許した。アブサロムはイスラエルで最も美しい男だった。

しかしアブサロムは呼び寄せられても王に会えない不服でヨアブの大麦畑に火つけをして、死刑にでもするがよいと言った。ヨアブは会わせることにした。礼を言われたダビデ王はアブサロムに口づけした。

なお、エルサレムに戻ってきたアブサロムは離れたゲシュルで暮らしているとき、こどもらができていた。娘はタマルと名付けている。

「ゲシュル」という地名は、ダビデ王の長子アブサロムが抗争を逃れ、母方の実家であるゲシュルに亡命したという旧約聖書の記述 (サムエル記下13章37-38節) などで知られるガリラヤ湖東岸とゴラン高原の一部を含む豪族の領土を指すものと考えられている。http://www.rikkyo.ne.jp/grp/tk/EG_01.html

今朝の古事記読み。ニニギが天降りしようとすると見知らぬ神が光を輝かせて待ち受けている。アメノウズメは裸体だけでなく顔も魅了して強いので派遣される。ニニギはいきなり助けてもらうの図。見知らぬ神は国つ神、サルタビコであった。先払いとしてお仕え申し上げようとしたそうだった。争いなし。

20211205

『日本妖怪大全』読み。今日も10の妖怪について読んだ。とくには、前に読んだ話が気になった。足長国に足長人、手長国に手長人が暮らしていて、もし見ると天気が変わったりする。この話は長崎県だが、山形県や福島県にも伝わる。

他。恐ろしいところへ誘って勝手に途中で消える悪四郎妖怪。ひとにとりついて妙な恰好をさせるアゼハシリ。家光の船「安宅丸」に発生した船霊(ふなだま)「安宅丸(あたけまる)」が特に。しかし全て興味深い。

20211204

今朝のコーラン読み。コーラン後期では主語や相手が安定してくる。主語について、「彼は」で主であり、複数「我ら」で天使たちであり、といった大体の分け方が考えられているが必ずしも確実ではなく、かつ、前期では安定していない。

ここで主という神の系について思うのは、天使や精霊といった階層的位置のある神的な存在についてである。すべての神聖なるものを神と一般的にもし呼んでしまえばそれは多神教とはどう違うのかである。むろん、全知全能という点ではあろうけれども。アクィナスとか考えてそう。以上162頁まで

今朝の旧約聖書読み。サムエル記下13章。ダビデ王の子らのうち二人の男子がいて、片方の男子の妹にもう一方の男子が無理に床についてしまう。兄である男子のほうが後にその男子の命を奪わせる命令を従者にくだす。兄アブサロムとその妹タマル。そして恐らく別系の兄のアムノン。

アブサロム逃げて3年すごす。
いつもダビデの家のことに限らないだろうが、いろんなことが起きまくるひとびとの歴史。しかも名前で記録されている。名前だけだが。これがもし顔も記録されていたら世界史はけっこう変わっていそうだ。

今朝の古事記読み。葦原の中つ国が和らげられた。アマテラスは太子のマサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミに統べ治めよと言ったがもう子がいるからそれに任せるとのこと。オシホミミの子、アマテラスからみれば孫である。

アマテラスの孫の名はアメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニギといい、初代天皇カムヤマトイハレビコ(神武)の曾祖父であり、最初の地上の第一歩を印した天つ神。天を和らげ、国を和らげ、天空の日の御子、すばらしいにぎわい、という意味である。

オシホミミは覚えたが、ニニギも省略せず覚えておきたい。たった一頁のことだが重要なところなのでこれで一日を終える。

忠臣蔵。金なし家なし持病持ちザムライ赤穂浪士たち……辛い、だがいかにもリアル。

グリム童話読み。『蛙の王さま(1名)鉄のハインリヒ』。おひめさまがカエルに黄金(きん)のまぁりを持ってきてもらったのに冷たい。それというのも約束の内容が共に食事をして共に床へつくことだったからだ。

いやらしいと思ってカエルを投げつけたら魔法がとけて王子さまになって結婚までするおひめさま。約束を破ってカエルの命を奪ったのに、恵みを得る。推測すれば、まりをとってくるだけで異類生物との共寝は、契約としてつり合いがとれないからか。

カエルが恵みをもたしたり禍をもたらしたりする民間の話は多い。旧約聖書にもある。日本ではのんびりしている風らしい(「たにぐく」といい、出雲の大国主(オホクニヌシ)のところで出てくる)。

20211203

今朝のコーラン入門読み。ムハンマドは自分が霊感を受けていたことを自覚していたので、外部から来る啓示と自分の言葉とを区別していた。しかしコーランではムハンマドの言葉に「言ってやれ」とつけるのが通例でありつつも、どれが主の言葉でどれがムハンマドの言葉か判然としないものもある。また、アッラーが語り手であることははっきりしていても、一人称複数で書かれているものもある。我ら、というように。

今朝の旧約聖書読み。サムエル記下9-12章。ダビデはかつての王サウル家の者を探しだした。ダビデによくしてくれたヨナタン、その子メフィボシェトであった(その子はミカ)。両足に不自由な彼をダビデは手厚く歓迎してすべてサウル家の領地を彼に返した。メフィボシェト嬉しそう。

その後しかしダビデはアンモン人とアラム人との戦いに勝利したあとアンモン人を滅ぼした。アラム人というのはイエスの使ったかもしれないアラム語の人々だろうか。ダビデ王はある日の夕暮れに散歩していたらヘト人ウリヤの妻バト・シェバに惚れてしまい、呼びよせて床を共にしてしまった。

それだけでなく、ウリヤを歓迎して、ウリヤを自宅に帰そうとしても帰らないので、無理な戦地に送り戦死させるように部下に命じ、ウリヤが死んだ。これを知ったナタンはダビデに詰め寄った。なぜそんな、主に背いたのかと。よってダビデの子が死んだ。ウリヤは2度の悲しみ。

そのあとまたバト・シェバと床を共にして子が生まれ今度た。ソロモンである。主に愛されたため、その子をエディドヤ(主に愛された者)とも名付けた。ナタンとは預言者でありダビデに油注ぎ王にした者。それからダビデはラバを占領して、その地の王の金と宝石の冠を奪い自分が被りエルサレムに凱旋した。

今朝の古事記読み。オホクニヌシは天ツ神に葦原の中つ国を差し出すことにして、誓いの言葉を述べた。ただし非常に高い住処(すみか)を治めてくれとタケミカヅチに言う。これがオホクニヌシが主である出雲大社の起源である。中世でも30メートルを越えていて古代にはもっと高かったようだ。

そしてタケミカヅチを迎えるための迎賓館をたてたりした。そしてスズキを奉る。古代では現在の中海と宍道湖を併せて入り海と呼んだ。イルカやスズキなど外海の海獣や大型魚が泳いでいたそう。

20211202 第二期

今朝の旧約聖書読み。サムエル記下8章。ダビデは連戦連勝。ペリシテ人を討ちモアブ人を討ち、どちらも屈服させ、ハダドエゼルがユーフラテスに勢力を回復しようとしたが討った。アラム人も屈服させ、金銀青銅を得たり、エドム人を屈服させる。クレタ人は監督された。ダビデの息子らは祭司に。

今朝のコーラン入門読み(クルアーン(قرآن qur’ān))。今のコーランがムハンマドの教えをすべて伝えているのか、読み方などについて論点になっている。また、フルカーンやタンズィールもコーランを指す語として使われる。コーランの章はスーラという。節はアーヤ(ヘブライ語ではオースで意味は徴)。

今朝の古事記読み。90頁~。オホクニヌシのところにタケミカヅチが来て譲れと言い、オホクニヌシ息子のコトシロヌシはオッケーする。しかしタケミナカタはオッケーしなかったのでタケミカヅチは投げ飛ばす。タケミナカタは恐れて諏訪の湖(すわのうみ)に逃げ、中つ国を天つ神に譲る。

諏訪から出ないことを誓ったわりに人気過ぎたのか全国に多数で散らばっているように思われる。たしか、やまとの神は税をとるから人気がなかったのではと推測してるひとがいたと思う。その時は稲荷神社が職能集団で人気あったからと対比してのことだった。

インド思想史読み。
インド学の世界的泰斗ヤン・ゴンダ(Jan Gonda, Holland)によるインド思想史が岩波から出ている。第一章はヴェーダ(1-22頁)。インドは素晴らしい文化を築いた。ギリシャとわずかな共通項を言語の中に持つ(インド・ゲルマン語)。

しかしギリシャのような理性よりも、どちらかといえばそれら理解を超えたものへの志向があり、綜合的世界観へ駆り立てられた。日本的とも言える面がありそうである。大自然の力、バラモン、祭祀、呪術、神々との交流、掟、穢れ、そういうことが重視される。

ウィキは以下。

ヴェーダ(梵: वेद、Veda)とは、紀元前1000年頃から紀元前500年頃にかけてインドで編纂された一連の宗教文書の総称。「ヴェーダ」は「知識」の意。

『バガヴァット・ギーター』読み。
神の歌の意味である(仏教では「世尊」の意)。大叙事詩『マハーバーラタ』の一部。おおくの宗派の共通聖典であり、西欧や中東でも人気がある。ギーターに至るまでの物語概略は骨肉の紛争である。非常に哲学的。श्रीमद्भगवद्गीता、 Śrīmadbhagavadgītā。


20211124

6時半起き。寒い。腹筋など一連OK。

朝活の再編を行うことにした。朝は一番きつい語学などにやはり戻し、他は「今日の10分読み」としたい(ほかにもむろん読んでるがTWに書き出す活動ものとして)。早速上手くいっている。朝活10分読みは1か月続けてきたが拘らない。改良。

20211123

今日の10分読み。

コーラン入門読み。17章1節にエルサレムへの夜の旅について少し触れられている。「ムハンマド」とは賞賛される者を意味し、別名である「アフマド」は賞賛により値するを意味する。

61章6節にはイエスの言葉がある。また、ヨハネ14章16節の弁護者はムハンマドを指すという議論がかつてあり、それによりアフマドがムハンマドを指すようになったという。

今日の旧約聖書読み。サムエル記下7章。ダビデ王がレバノン杉の家に住みだしたが、神の箱は天幕を張った中に置いたままを気にしだした。ナタンの預言がある。主はそんなこと気にしたことないぞと。ダビデは主の御心のままにと祈る。まるで、自然そのものが神の居場所という、ウタキとか神社のよう。

今日の古事記読み。3回目の葦原の中つ国への派遣は、タケミカヅチになった。波の上で剣先のあぐらするタケミカヅチがオホクニヌシに天つ神の国として治めると言うと、もう息子であるコトシロヌシに譲ったという。コトシロヌシは奉ると言うが、タケミカヅチでなく父に向けて言った。

グリム童話は、18・19世紀のドイツにいたグリム兄弟がドイツ民間につたわる昔のお話を忠実に書き記したもので1812年と1815年に出され、民俗学にも強い影響を与えている。このときドイツ的なものが注目されたときだったとウィキにはある。

青空文庫にも結構ある。
https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1091.html

水木しげる日本妖怪大全。青行灯、青鷺火、青女房、赤頭と小僧の妖怪、赤えい、アカカナジャー、赤舌、アカナー、あかなめ、灯無蕎麦、10妖怪を読んだ。おんもしろ。これは刺激される。

20211122

朝活10分読み31日目。

今朝のコーラン読みは、コーランにおいて1章2章などと数える「章」は「スーラ」と言うことが重要だと思う。基礎的なことだが。他の10ページほど読んだだけで書くのは省く。

今朝の旧約聖書読み。サムエル記下6章。神の箱をダビデが自分の町にもってこようとしたが、ウザが箱に手を伸ばし間違って箱を押さえてしまったため、主は怒り、ウザは死んだ。ダビデはウザが打たれたことに怒ってしばらく自分の町に箱を持ってこなかった。

しかし神の箱がもっていかれた家のひとびとは主により祝福されていたと聞くとダビデは喜んで自分の町にもってきて、その箱の前で力いっぱい踊った。それを見た妻のミカルはダビデを内心さげすんだ。

今朝の古事記読み。矢で死んだアメノワカヒコを弔いにやってきたアジシキタカヒコネだったがアメノワカヒコの父や妻によってアメノワカヒコと間違われてしまい死人と間違われたと怒って、出雲にあった喪屋を蹴飛ばして飛んでった場所が美濃(岐阜県)。

主も神々も激おこぷんぷん丸。

20211120

朝活10分読み30日目。

今朝の旧約聖書読みは、サムエル記下5章つづき。ダビデは兵とともにエルサレムへ行ってそこの住民エブス人を攻め立てシオンの要害に住んでダビデの町とした。子作り。ペリシテ人が攻めてくるが撃破。

今朝のコーラン入門読みは読んだがあえていま書くほどでなし。100ページ超えた。

今朝の古事記読み。神代篇その5。オホクニヌシが葦原の中つ国を長く治めていた。しかし一方的か急にアマテラスが葦原の水穂の国はわが御子マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミが治める国だと言い出す。

この名前は久しぶり、今回も覚えた。

タカミムスヒとアマテラスは八百万の神々を集めてみんなにこう言った。どうすれば言向けさせられるか。ことむけとは服属させる意味。アメノホヒを遣わせたがオホクニヌシになついてしまいダメ。アメノワカヒコを遣わしたが命令に背いて乗っ取り企てたのでタカギの還し矢にて死ぬ。

中近東ではニムロッドの矢として還し矢は伝わる。旧約聖書には世の権力者となった最初のひとで狩猟者として描かれるが、矢を射た話はない。

20211119

朝活10分読み29日目。
コーラン入門読み。コーランは戦争で記憶の保持者たちの多くが戦死してしまったため散逸をおそれたウマル・ブン・アル・ハッターブ(後の第二代カリフ)は「コーランを結集せねば」と危惧を覚えた。

そこで初代正統カリフであるアブー・バクル(恐らくムハンマドの友人で商人、6~7世紀)に進言したため、預言者の書記であったザイド・ブン・サービトに命じて人々の記憶から書物から総動員して集め、紙束(スフフ)に写し、カリフに献上した。

今朝の旧約聖書読み。サムエル記下5章。ダビデがイスラエルの長老たちにより油注がれてイスラエルでも王となり(7年6か月)、ユダの家とイスラエル両方の王になったことになる(33年間)。こうして約40年間、王として在位した。

今朝の古事記読み。前にスサノヲとオホヤマツミの娘カムオホイチヒメとの間に生まれた神様「オホトシ」(ノカミ)は実りの神である。大年神。『「とし」は,もともと穀物などの実り,収穫を意味した(コトバンク)』。娘にはカヨヒメ(又はカグヨヒメ)がいる。

1117

朝活10分読み28日目。

コーラン入門読み。コーランの章句は最初から順序通り啓示されたのではなく一度ですべてなされたわけでもない(25章34節辺り)。ガブリエルからムハンマドへ、そして彼は会衆の前で朗唱した。すべて終わるまで20年ぐらいかかった。

今朝の旧約聖書読み。サムエル記下4。亡くなったサウル王の息子イシュ・ボシェトが王であったが、同じくサウルの息子二人が略奪隊員の長であり、イシュ・ボシェト王の寝ている家の中へ入り命を奪った。ダビデ王にそれをダビデのためだと伝えに行ったが、前回と同じく死刑かつ晒し刑となった。

今朝の古事記読み。オホクニヌシとスクナビコナは一緒に国をつくり固めていたがあるとき常世(とこよ)の国へ帰ってしまった。オホクニヌシは嘆いた。そこへ、わたしを治め祀ったならば一緒に国作りしようと言って海を輝きわたらせて依り来る神が居た。どうすれば。大和の三輪山に祝い祀ればよい。

言ってきたのはオホモノヌシのことだが、名前が出ていないのは無秩序にいることを意味しているそう。オホモノヌシがしばしば祟り神として顕れることと関わるかと言われる。オホモノヌシは海の向こうに居たんだな。それにしてもスクナビコナは何故に帰った。

1116

腹筋など終えて朝活27日目。

イスラムで広く認められている教義ではコーランは永遠なるもの、神の言葉であり、被造物ではない。キリスト教では「永遠の神の御子」がイエスであろうが、コーランでは「永遠の言葉」なのだそう。

新約聖書ヨハネ福音書でも最初に言葉ありとなっている。コーランにも、イエスはアッラーの言葉kalimatu huとあるそうだ。

今朝の旧約聖書読み。ダビデの軍は優勢になっていた。ダビデに子らが生まれた。ダビデは昔の妻を取り返した。別の人の妻になっていたのを知らなかったのかもしれない。取り返されたほうは悲しんだそう。

イスラエル王の家臣であるアブネルはダビデと和睦かなにかの契約を結んだ。しかしユダの家の、つまりダビデ王の家臣は略奪から帰還して状況を知らないのか何なのか過去の仕返しをして命をとってしまう。ダビデ王らは非常に悲しみ弔った。こういうすれ違いは歴史上多々ありそうだ。

今朝の古事記読み。オホクニヌシは三(み)たりの妻がいた。やたらと族(ウカラ)が賑わって続いていく。国つ神で出雲系と言われる。天皇家に連なるほうが単純な紹介なのに対して出雲系は多くて長いことになるのだろう。

そしてオホクニヌシが出雲の岬にいるとスクナビコナ(小人神)が船に乗ってやってくる。オホクニヌシは大きな身体なので対照的だ。

1115

今朝の旧約聖書読み。サムエル記下2章後半。サウル軍は司令官アブネルがサウルの子イシュ・ボシェトを擁立して全イスラエルの王とした(ギレアド、アシュル人、イズレエル、エフライム、ベニヤミン)。ユダの家はダビデに従った。The Book of Samuel (Hebrew: ספר שמואל, Sefer Shmuel)

今朝の古事記読み。スサノヲの娘スセリビメがありながらヌナカハヒメと共寝したヤチホコ(オホクニヌシ)はスセリビメからうわなり妬みされる。うわなり妬みとは本妻が後妻に嫉妬することであり、うわなりは後から得た若い妻のこと。

もう嫌なのかヤチホコは倭へ出て行こうとするときに歌うのは、お前泣きやがるいとしいやつよとのこと。スセリビメはお酒をもって、あなたはいいわよね男だから、わたしのことをそっと抱きしめて尽きぬ共寝しましょうよとのことで、二人は抱きしめる。これが道祖神に繋がるのではないかと言われている。

腹筋など終えて朝活26日目。

コーラン入門読み。いつでも啓示や導きが望み通りとは限らない。ムハンマドにとって成功だけでなく試練や失敗もあったそうだ。コーラン18には、何であれ「明日それをやります」などと断じてはならない。必ず「アッラーがお望みになれば」と付けよと。

これを中東出身の有名なかたがYouTubeで楽し気に紹介していたのを見たことがある。「明日行くとは言わずに、アッラーがお望みになれば」と言う決まりだから楽だというような趣旨だったか。言葉はインシャ・アッラーだったと思う(Inshallah)。

本のサイズの関係からコーラン入門読みが先に来やすい。

1114

朝活10分読み。25日目。コーラン入門。ムハンマドは韻を踏みつつ言葉を編み出していった。18章110節によればムハンマドはただの人間であるといった謙虚さも見られるそうだ。ただの人ですよという言葉は褒められたときわたしが外国語を使うときはよく使う言葉だ。

今朝の旧約聖書読み。サムエル記下2章前半。主によりダビデ一行(家族や兵士などユダの家の人々)はへブロンへいき住んだ。人々がダビデに油注ぎ王とした。命の危機が何度もあったが乗り越えて王となったダビデであった。

今朝の古事記読み。オホクニヌシはヤチホコとも呼ばれていた。色事のためか、強い弓矢のためかは分からない。いずれにせよ出雲から高志(北陸一帯を言うがここでは新潟県糸魚川辺り)の国へヌナカハヒメに妻求めの歌を歌った。

急いできたが鶏うるさいあれしてしまえみたいな歌。ヌナカハヒメは助けてあげて共寝しましょうみたいな歌。翌日の夜に結ばれる。だいぶ遠くから来たのに焦っているのだからよっぽどか。でも会ってから好きになるんじゃないんだな。

1111

今朝の旧約聖書読み。サムエル記下1章。ダビデはサウルにとどめを刺した者が自己申告してきたが、結局は討てと命じる。その者はサウルに頼まれてやったと言っていたが油注がれた者を殺したからとのこと。哀悼の歌「弓」が詠まれる。

1109

コーラン入門読み。ムハンマドは長い時間を一人で考えて結論を自力で出していたようだ。そこに神秘性を感じてた。彼に到来するのは「暗示」であり、説明するのは彼が苦労した「言葉」とのこと。夜に冴えわたった。彼は社交的でもあるが孤独も好んだ。

今日の古事記読み。スサノヲはオホナムヂに呼びかける。その剣と弓矢をもって八十の神々兄弟を追い払い、葦原の中つ国を統べ治めてオホクニヌシとなり、ウツシクニタマとなりて、スセリビメを正妻(むかひめ)とせよと。出雲大社の東方に宮柱は太いのを使い、住めよ。神代篇その3終わり。

今日の旧約聖書読み。サムエル記上の終わり。30章。ダビデたちが与えられたツィクラグに帰ると妻から何から奪われていたので取り返しに行った。途中で疲れた者は荷物の番となった。もと奴隷のエジプト人によってアマレク人に追いつけて戦った者たちと、荷物番の者たちとで戦利品を半々にした。

ツィクラグに戻ったときあらゆるひとや物が奪われていたため、兵士たちは最初、ダビデを石で打ち殺そうと言いだしてもしたが、ダビデは主により救出できると言われたためである。エジプト人に食べさせたものはパン、水、干しいちじく、干しぶどう。戦利品の等分はイスラエルの掟になった。

31章。たほう、ペリシテ軍はイスラエルと戦っていた。ペリシテ軍が優勢となり、王の息子ヨナタンは討たれ、サウル王は深手を負い自害したが彼らは晒しものになり、ヤベシュの住民が持ち帰って火葬にふした。

サウル王の中期末期は何とも残念であった。ダビデは活躍した序盤に比べてかなり苦労した中盤であった。ダビデにとっては中盤などの理解はない。

朝活だけでサムエル記上を読み終えられて嬉しい。

サムエル(שמואל)とはヘブライ語で「彼の名は神」だそう。実在であれば紀元前11世紀。サムエルはサウルに油注ぎ王にしたあと主の言葉に背いたとして、ダビデに油を注ぐ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A0%E3%82%A8%E3%83%AB#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:InfantSamuel.jpg

英語ページから引くとツィクラグはZiklag (Hebrew: צִקְלַג)と書く。場所はリンクのところが推定のようだ。
https://www.christiantoday.co.jp/articles/27047/20190722/david-king-saul-ziklag-khirbet-a-rai.htm

1108

22日目の朝活10分読み。

コーラン入門。84頁。暗示する(awha)や(wahy)と言った言葉で表現されるのは、アッラーが行動指針や教義を伝えたりすることである。蜜蜂や7つの天、ノアやモーセ、ムハンマドに暗示する。幽玄界(ghayb)でのことが語られる。

旧約聖書読み。サムエル記上29章。ダビデはペリシテ軍から怪しまれてしまい、王は仕方なくダビデを離脱させる、神の使いのように良い人間だという言葉をもって。

今朝の古事記読み。オホナムヂは死んだと思っていたが生きていたため家のなかにスサノヲは入れて、頭のシラミをとらせた。スサノヲの頭を見ると大きなムカデがいる。それをとって食いちぎった振りをした。スセリビメの持たせてくれたムクの木の実と赤土のおかげ。

オホナムヂはスサノヲが寝ているすきにスサノヲの長い髪を垂木に結びつける。スサノヲ大神の宝物である生太刀と生弓矢(いくたち、いくゆみや、王の力)そして天の詔琴(あめののりごと、祭祀王の力)をもって遠くへ逃げた。


1107

朝活10分読み21日目。古事記。やその神々がオホナムヂを追いかけてくる。オホヤビコが木の俣(また)の虚(うろ)から逃がす。スサノヲが主でいる根の堅州の国へ、よき議(はか)りごとをしてもらいに。そこでスサノヲの娘スセリビメと結ばれるオホナムヂ。

スサノヲはオホナムヂを接待しているように見えて、ヘビ、ハチとムカデ、により命を狙う。2度ともスセリビメが助ける。三度目の火ではネズミが助ける。内はホラホラ、外(と)はスブスブという呪文をオホナムヂ察知。土の穴に逃げ込める。

今日の旧約聖書読み。サムエル記上28章。ペリシテ人はイスラエルと戦うことになって準備をした。アキシュ王はダビデに自分への護衛の長とさせた。サウル王は口寄せの女のもとへ行き聞いたらサムエルに言われて倒れる。なぜサムエルを欺いた、主はイスラエルをペリシテに渡すだろう、とのこと。

今日のコーラン入門読み。ムハンマドは自らの体験で見たのはアッラーではなくアッラーの啓示を携えた天使だろうと結論した。神は暗示を介して語るか、使徒を介して暗示する。42章50節。

1106 

朝活10分読み20日目

今朝のコーラン入門読み。ムハンマドは一部の伝承重視の人々から疾患持ちだとかいろいろ言われているが、もしそうなら遠征軍を組織したり都市国家を建設したりできないので、コーランのほうに寄るべきであるとリチャードは言う。啓示は大天使ガブリエルから受けたとのこと。

今朝の旧約聖書読み。サムエル記上27章。ダビデはペリシテ人の地に兵600人とともに逃れ、ガトの王マオクの子アキシュからツィクラグの地をもらう。これでユダ王の地となる。そしてダビデはよその地で戦争略奪を何度かしていた、王へ贈るため。ダビデはイスラエル人に嫌われたろうと王は思った。

今朝の古事記読み。赤いイノシシがこの山にいるから獲ろうと持ちかけられ、待ち獲るオホナムヂ。しかし八十の神々に騙され、焼けた大岩を抱かされ死亡する。母神やヒメたちが生き返らせる。2回目もまた母神が生き返らせ、木の国(紀伊、和歌山県)へ逃がす。

1104

今朝のコーラン入門読み。ムハンマドは学者や信徒らと接触していたことからユダヤキリスト教の知識を持っていた。ムハンマドによって、争いの続いていたアラブが団結したり同胞意識を持てるようになったことは大きい。彼を宣教に動かしたのは彼の信仰心によるとのこと。

1103

18日日目の朝活10分読み。

コーラン入門(リチャード、ちくま)読み。70-73。そうしてムハンマドは半島統一となる。シリア方面への遠征はあまり成果をあげられず病に倒れ数日後に亡くなる。632年6月。晩年は純粋な太陰暦を採用した。メッカ時代、メディナ時代で、まったく違うムハンマドの状況。

コーランでは調停役の指導的役割をしたとき、「心を病む者ども」などの表現がみられる。5.57や47.31など。ただし明確にコーランをそれら2つの時期に区別はできないと考えられている。

今朝の旧約聖書読み。サムエル記上26章。またもやサウル王はダビデを追跡するが、ダビデは王の槍や水差しを寝ている隙にとってくるぐらいできる。しかし命は狙わなかった。主に油注がれた者サウル王を狙わないダビデについて、サウル王はまたもや改心して去っていく。

今日の古事記読み。スサノヲ6世であるオホナムヂはいじめられていたウサギを真水と蒲の穂のことを教えて助ける。稲羽のシロウサギは神であり、やそがみたちとオホナムヂは、ヤガミヒメめとり適格のための試験を受けていたのであった。ヤガミヒメはオホナムヂに嫁ぐと言う。

1102

まだすこし眠いが17日目の朝活10分読み始め。今日のコーラン入門読み。67-69頁。メッカの「信仰なき面のども」への敵意が高まっていた。ムハンマド軍勢300人たらずで1000人の部族を打ち破り、戦後処理に苦労したり処刑したり、ユダヤ部族のカイヌカーウ族やナディール族を追放したり、ムハンマドが時には軽傷を負ったり。

ときには敗北したりもしながら、そのうちにほぼ無血でメッカ入城となる住民の大半はイスラム教を受け入れたので寛大に扱われた。当たり前だが、イスラム教を布教し始めたころなのだから、メッカ住民の多くはイスラム教でなかったが、時が来たので受け入れたということなのであろう。

今日の古事記読み。オホクニヌシ(又はオホナムヂ、アシハラノシコヲ、ヤチホコ、ウツシクニタマ)は兄弟が八十(やそ)あまりの神々として居た。みな稲羽(いなば)のヤガミヒメをめとりたくて出かける。土地の女神を娶るは土地を領有するため。

兄弟たちはオホナムヂにいやしい仕事である袋かつぎをさせた。ひんがし(東)、鳥取市のほうに向かう。皮をはがれtz赤裸のウサギが倒れていた。やそ余りの神々に騙されて塩を塗ってしまったという。ウサギはワニをだました仕返しに皮をはがされたという。オホナムヂはウサギとそう会話したようだ。

インドネシアからマレイ半島辺りにある神話だそうである。日本は陸地のウサギの優位性ではなく、オホナムヂの知恵を強調する物語になっている。もとは独立した物語で、バンビとワニだったようだ。ウサギの語り部分はアイヌユカラの似た構造と語り口とのこと。

今日の旧約聖書読み。サムエル記上。25章。サムエルが老いていて亡くなったので悼(いた)み葬(ほうむ)った。ダビデは裕福な羊飼いナバルに出会い祝いの日に食べ物などを分けてほしいと願い出るも、ナバルはきつい返事をした。ダビデは剣を帯びて四百人の軍勢で進みだした。

ナバルの妻であるアビガイルは聡明で美しかった。密かにダビデに食べ物などあれこれを沢山運んで、謝り、届けた。ダビデは感謝して尊重した。ナバルは後でその話を聞いて意識をなくし石のようになりぞのうち主に打たれ死んだ。

ダビデの申し出によりアビガイルはダビデの妻となる。一人目は別れべつのひとの妻になっていた。ダビデにはすでに二人目がいたので三人目がアビガイルとなる。そして同時の二人の妻をもったことになる。

「אֲבִיגָיִל .を意味する。「神は喜んでいる」

アビガイルのこと。英語では侍女などの意味。短縮形はアビー (Abbey, Abbi, Abby etc.)。アビーロードはロンドンにある通りの名前。ビートルズにも使われ。」

1101

朝活10分読み。16日目。

今朝の旧約聖書読み。サムエル記上24章。サウルは再びダビデを追ってくる。するとうっかりサウルはダビデ軍のいる洞窟に用足しに入ってしまい命の危機。

しかしダビデはサウルが主に油注がれた者だからと無事で帰した。サウルは、ダビデがやはり王になると確信し、自分の名を残し家系も残してくれることをダビデに頼む。

今朝のコーラン入門読み。65頁。メッカでの布教はあまり反響がなかった。それでも多神教を非難し続けた。ムハンマドらは信徒の大半をメディナへ移住させ自分も入るこれをヒジュラという。かれはそこで対立の調停役として表舞台にたつ。政治手腕を発揮。

ユダヤ教には親近感で学ぶ姿勢すらあったが、ユダヤ人たちがかれが預言者であることや政治構想をひどく否定したゆえに敵意に変わる。623年、礼拝の方向(キブラ)もエルサレムからメッカに変更される。大きな変化である。

今朝の古事記読み。スサノヲはヤマタノヲロチを退治して出雲に宮をつくり喜びの歌をうたい、めでたくオホヤマツミの孫クシナダヒメと結ばれて神生み、ヤシマジヌミがなる。また、ハヤスサノヲは同じくオホヤマツミの娘を妻として神生み。

スサノヲ一世のヤシマジヌミの系列から六世でオホクニヌシが生まれる。オホナムヂともいう。5つの名をもつ。名前が多いのは力の多彩さを意味する。これは、多くの神々を後に統合したからだと考えられている。

「マタイによる福音書」は英語で The Gospel of Matthewであり、古典ギリシャ語はΚατὰ Ματθαῖον Εὐαγγέλιον/カタ・マツサイオーン・エウアンギェリオンであり、現代ギリシャ語ならΚατά Ματθαίον Ευαγγέλιον/カタ・マツセオン・エヴァンギェリオンとなる。θ(しーた)は英語でthの音なのだ。

1030

朝活10分読み。15日目。

コーラン入門読み。ムハンマドの生涯つづき。メッカでの布教はかれが40歳ごろから始める。10年ぐらいやっていた。使徒の出現は過去にもあった。この時期はユダヤキリスト教徒にも友好的であった。メッカでの儀礼で最重要なのはサラート(礼拝)である。喜捨なども提唱。

今朝の旧約聖書読み。23章。

サウル王の息子ヨナタンはダビデが次の王となりそのつぎに自分が王となることを主の御前で契約した。いよいよある岩場でダビデはサウルに捕まるかというとき、ペリシテ人が国に侵入した知らせありサウルはペリシテ人へ向かう。この岩は「分かれの岩」と呼ばれる。

話は変わるが、だれしも幼いとき疲れているときストレスあるとき、間違える。ひとの振りみて我が振り直したいものだ……。

ブラック企業ふつうの社会ってまずいと思う。まあ、、わたしが言ったところでと思ってしまうんだが。

古事記読み。48-52頁カムムスヒが穀物を改めてスサノヲに与える。これにて土に植えられる我々の御食(みけ)となれる。そして、スサノヲは出雲の国へ行くと、川に箸(尻拭きヘラの可能性あり)が流れてくる。ひとが居ると思って川をのぼるほうへ行くと老いた男女と若い娘がいて泣いている。

コシノヤマタノヲロチ(コシ=当時の辺境、ヲロチ=得体の知れない恐ろしいもの)に娘をやらないといけない契約がある。スサノヲが娘を貰うかわりに退治することになる。娘を櫛(くし)に変えて自分に隠し持つ。酒を用意させ飲ませ眠らせるところをいつもの十拳の剣で退治する。

ツムガリの太刀が出てくる。アマテラスに差し上げる。これが天皇家の三種の神器のひとつ、草薙の太刀(たち)である。王権が、倒した相手の千からを取り込むことはよくあること。後に草薙の太刀は地上にもたらされ伊勢神宮に祀られるがヤマトタケルにより尾張の熱田神宮にとどまる。

※千から→チカラ

「マタイによる福音書」は英語で The Gospel of Matthewであり、古典ギリシャ語はΚατὰ Ματθαῖον Εὐαγγέλιον/カタ・マツサイオーン・エウアンギェリオンであり、現代ギリシャ語ならΚατά Ματθαίον Ευαγγέλιον/カタ・マツセオン・エヴァンギェリオンとなる。θ(しーた)は英語でthの音なのだ。

1029

朝活10分読み14日目。

古事記読み。神やらわれてさまよっているところ、スサノヲはオホゲツヒメに食べ物を貰っていた。見てみると鼻や口、尻の穴から食べ物を出している。スサノヲは穢していると勘違いしてオホゲツヒメを切り殺してしまった。

ヒメの身体の穴と言う穴から穀物が生まれる。頭(かしら)から蚕、目から稲、耳から粟、鼻から小豆、陰(ほと)から麦、尻から大豆(まめ)。蚕だけは食べ物でも穴でもない。

殺された女神から穀物が生まれる型をインドネシアなど南太平洋のハイヌウェレ型神話という。スサノヲは出雲の国へ行く。

今朝の旧約聖書読み。サムエル記上22章。ダビデはアドラムの洞窟に逃げたところ彼の兄弟など近い者たちがみな彼のもとへやってきて400人ほどになり、ダビデが頭領になった。ダビデはモアブ王に両親を預ける。それからダビデはハレトの森へ行く。

サウル王は怒りに囚われていて前回に出たアヒメレク祭祀の弁明を聞かず、ダビデに食べ物を与えたアヒメレクとその町の生きるものみなごろしにしてしまった。アヒメレクの息子一人だけ助かってダビデのもとに逃げる。とんでもない状態である。

今朝のコーラン入門読み。62頁~。ムハンマドの生涯について。生年は570または571年とされる。誕生したとき父親はすでになく、母親は6歳のころに亡くなっている。孤児となったムハンマドは異教のなかで育ち、貧困でもあった。コーラン93章6~8節には当時のことが書かれている。

青春時代は叔父のアブー・ターリブとシリアに向かう隊商に参加したという。かれは交易を体験していた。賢明で誠実な人柄を見た資産家の未亡人ハディージャに結婚の意志と伝えられる。ムハンマド25歳ごろ。幸福な家庭生活。コーラン25章8~9節などにある。桁違いに裕福というほどではなかった。

93章「6. かれ は 孤児 の あなた を 見付け られ, 祢護 なさ れ た て ゙ は ない か。 7. かれ は さ迷っ て い た あなた を 見付け て, 導き を 与え。 8. また 貧しい あなた を 見付け て, 裕福 に なさ れ た て ゙ は ない か。 9. た ゙ から 孤児 を 虐 け ゙てはならない。」例示引用

1028

今朝の旧約聖書読み。21章。ダビデは逃げた。祭祀アヒメレクのもとに来て、パンを求めた所、聖別されたパンを頂き、それからゴリアトの剣を貰う。アキシュ王のもとへ行くと王扱いを受けたので怖くなってダビデはわざと狂ったふりをしておいた。

今朝の古事記読み。43-46頁。アマテラスが隠れたため高天の原も葦原の中つ国も真っ暗になって悪しき神々と災いだらけとなった。八百万の神々はどうしたらいいかを賢いオモヒカネの神に聞く。

あれこれの演出を考えて、上半身裸のアメノウズメが踊り出して八百万の神々がみな喜んだ声などにより少しずつアマテラスが出てきたところ、アメノタヂカラヲとフトダマによって出され、世界は明るくなる。その後スサノヲは神やらいで追い払われる。

朝活13日目。今朝のコーラン入門読みは「伝承の信ぴょう性」である。ムハンマドをとりまく謎はコーランを研究すればすべて解き明かされるそうだ。伝承はおびただしい数にのぼるが、創作や空想も混ざっているため容易ではない。

メッカにいた時代の後期のさらに10年間は世間の大事件の中心人物となったため経歴を確定しやすく、コーランの章句の大半を解釈しえる。

実際のコーランのほうではSURA1の124に「イブラーヒーム」の文字がある。アブラハムだろう。そこまでざっと読んだ。

※ここで伝承とコーランは別物としてとらえられているのだと思われる。コトバンクにある「伝承」は例えば、「ある集団の中で、古くからあるしきたり・信仰・風習・言い伝えなどを受け継いで後世に伝えていくこと。また、そのようにして伝えられた事柄。」

「一般には、前世代からの伝統的文化遺産を次の世代が引き継ぐこと、または継承されたその内容を意味するが、民俗学や文化人類学では、常民社会におけるある種のまとまった知識や技術や信仰の体系、習俗、文字化されていない説話(神話、伝説、民話、昔話など)

、民謡、諺(ことわざ)などの世代を超えた伝達を「民間伝承」として研究の対象としている。」

前に移動したエジプトでも奴隷になって出エジプト。そのうち北のイスラエル王国だけでなく南のユダ王国も滅ぼされバビロン捕囚となりユダヤ人は奴隷となっていた。しかしペルシャは寛大政策をとっていた。

1027

朝活12日目。今朝のコーラン読み。コーランの書写材としてヤシの葉、なめし革、動物の肋骨や肩甲骨が伝承されている。他にパピルスやペルガモン紙(洋皮紙、raqq)、キルタース、カルテース、カラーテース、スフフ、サヒーファなどの言葉が考えられている。ムハンマドは筆記ができたのかも論点。

今朝の旧約聖書読み。サムエル記上20章。サウル王は王権に固執してダビデを狙う。王の息子ヨナタンはダビデでと仲が良いのでダビデを逃がした。ダビデは泣いた。

今朝の古事記読み。イザナキはアマテラスにだけ首飾りを与える。天皇家の祖先神、最高神が女神。スサノヲは泣いている。なぜかと聞くに、ははの国にいきたいからという。亡き母の国に行きたいということはやはり二人の子だったようだ。日本書紀はそう語っている。

イザナキはかむやらいによってスサノヲはやらわれる。アマテラスのもとへ話をしてからおいとましようとすると、アマテラスには国奪いに来たのかと誤解されて準備されてしまう。

普通と違うウケヒやもろもろアマテラスによる矛盾をかかえたやりとりのあと、スサノヲは暴れまわり糞をしたりひとが死んだりする。アマテラス恐ろしくなり岩屋の戸を閉ざし隠れる。34-42頁

モーセはエジプトの王宮育ち。40年かけてカナンまで行く。相当な権力者であったが神が恩恵を与えるという形式をとって民は神を崇拝した。

幕府第13代将軍・徳川家定の正室「篤姫」のネコのエサ代は年間250万円。

ソロモンの時代は動乱だ。多神教がくるし戦争が起きるし国は南北二分され北が滅んでしまう。それで一神教へ戻っていく。そしてバビロン捕囚へ。

1026

今朝のコーラン読み。コーランに、アッラーが筆記を教えたのか、それとも、アッラーは筆記で教えたのか、どちらを解釈するのかついて。井筒さんや日本ムスリム協会によるのかリチャードによるのか。いずれにせよ、7世紀よりずっと前にすでに碑文が見つかっている。

コーランには商人言葉もある。勘定書で良いこと悪いこと云々。お金の貸し借りは書面で云々。したがって、書く行為はすでにあっただろうという話。ただわたしが思うに、書く行為といってもただ書くのと神に教わって書くのでは全く違う言葉に思われるので井筒さんらの解釈も合ってるように思われる。

今朝の旧約読み。19章。サウルはまだダビデを狙ってくる。ダビデの竪琴で癒されるのに、サウルはまだ狂って槍や命令で狙ってくる。ダビデはサムエルのもとへ逃げる。サウルは追うが、サムエルの一団が預言する集団になり、サウルまで預言する状態になって裸で倒れる。

今日の三浦古事記読み。26-32頁。イザナキはイザナミに会いたくて黄泉の国へ行ってしまう。行ける時点で神らしい。しかしヨモツヘグヒをしてしまったイザナミは黄泉の国から出られないので黄泉の神と話し合いをする。見るなよと言われるもイザナキは見てしまい恥をかかせたなとイザナミに怒られる。

※ヨモツヘグヒ……ヨモツ=黄泉の、へ=かまど、グヒ=食い。

イザナキは剣を振り回したり桃を投げたりしてなんとか逃げてくる。イザナミはあなたの国の者を日に1000人あれすると言う。イザナキは1500の産屋を建てると言う。イザナミは黄泉の神になる。

穢れの国に行ったからイザナキは禊(みそぎ)、祓いをすると、左目からアマテラス、右目からツクヨミ、鼻からタケハヤスサノヲが成る。超有名な神々が、イザナミのいる黄泉の国へ行ったからこそ穢れての禊や祓いをして一人で神生みとなる。黄泉でイザナミがイザナキに愛の力を最初は与えていたその力か。

1023

今朝のコーラン入門読み。コーランにユダヤ教やキリスト教との類似性があることから、ムハンマドと混合宗教との接触可能性が考えられているようだ。エルカサイ派、マンデ人、そして一時期有力でもあったバビロニア出身のマーニーによるマニ教である。ただし可能性はゼロの可能性もある。

朝活10分読み10日目。

今朝の旧約読み。サムエル記18章。サウルは戦士の長や千人隊長に任命したダビデの超人気をねたみ恐れ亡きものにしようと考えるがサウルの望み通り陽皮百枚集めてきたので娘ミカルを与えることになり生涯敵意となる。主はダビデとともにいた。

三浦古事記読み。イザナミがかむさったことでイザナキはおおいに泣いた。涙で神が成る。イザナミは出雲とハハキ(Kindleだと漢字が変換できないが伯耆と似てる二字)の堺の比婆の山に葬られた。

イザナキはカグツチの首を剣で落とす。その血から神々がまた成る。カグ=かがやくのカガ=カガ。かぐやひめ。輝くの意味。ツチとは、チが神格を意味し、ツが「の」なので、輝きの神格、燃え盛る火の神格とのこと。血、乳、チ(神格)。

そうだな。年末にかけてひとは焦燥感とか逃避行感が出てくるかもしれないが暦というのがあるからそう思うだけであって生涯の時間は人それぞれに与えられているものでありおそらく本来は不平等なものである。ただ同じ一瞬みたいなものを感じていて、ちがう世界観ちがう年月感にそれぞれが住んでいる。

同じものは見てない。不思議なことだな。でも、物語や本を知るとき、同じものを見ている。それは、すごいことなのだろう。

1022

旧約読み。サムエル記17章。ペリシテ人とイスラエルの戦い始まる。一騎討ちを申込むゴリアト。無理と思われたが少年ダビデは剣でなく杖や石5個と石投げ紐と袋だけをもって鎧や盾の防備万全のゴリアトに向かい、石投げ一瞬で倒し首をとる。ふだん羊飼いで熊や獅子を倒している強さ。

三浦古事記読み。21-25頁。イザナキとイザナミは国生みして神生みする。オホヤマツミノやオホゲツヒメやアメノトリフネは有名だ。ヒノカグツチを生んだためにみほとを焼かれて病になり神避りたもうた。病の間は糞や尿(ゆまり)などから神生み。ゆまりは現代語オマルのもとになった言葉らしい。これは、ふと思うことあるな。

今朝のコーラン入門読み。多神教徒(ムシュリク)、不信者(カーフィル)。当時はムシュリクがいた。コーランのなかでハニーフとはアブラハムの純粋な一神教徒のことであり、多神教でない。ハニーフ語源は様々ある。

和訳コーラン読み。sura1では、慈悲あまねく慈悲深きお方sura2は108までざっと眺めた。83, 105, 108が目に留まった。

「83.われがイスラエルの子孫と,約束を結んだ時のことを思い起せ。(その時われは言った。) 􏰁あなたがたはアッラーの外に,何ものも崇めてはならない。父母に孝養をつくし,近親,孤児 ,貧者を規切に扱い,人びとに善い言葉で話し,礼拝の務めを守り,定めの喜捨をしなさい。」引用

105は言葉の論理関係だ。「啓典の民」のなかに不信者や多神教徒も入るのだろうか。あと番号というより、ムーサーやイーサーの語があること。

108でなく113だった。「113.ユダヤ人は言う。􏰁キリスト教徒は,全く拠るところがない。􏰂キリスト教徒も,􏰁ユダヤ 人は全く拠るところがない。」引用。お互いになにか言っていたようだ。映画を思い出す。

このKindle翻訳のはうまくなされていないようで不明瞭な記号や言葉がしばしば。でも臨場感。

1021

今朝のコーラン入門読み。アラビア半島にユダヤ教徒が勢力をもっていた地域があったようだ。キリスト教についてはアラビア半島周辺の国に広く伝わっておりビザンツ帝国の国教でもあった。

カルケドン公会議でキリストの神人二性論か神重視単性論かでいろいろ出てくるもネストリウス派も。光闇善悪二元論のゾロアスター教はペルシア帝国の国教だった。カルケドン公会議451年。

今朝の旧約聖書読み。サムエル16章。主の導きによりサムエルはベツレヘムでダビデを探しだして油を注ぐ。主の霊がダビデに降るようになる。ダビデはその後、悪霊にさいなまれたサウル王を竪琴で癒す。ダビデは王の武器を持つ者に取り立てられる。

今朝の口語古事記読み。16-21頁。最初はなにもなかったらしい。あめとつちができてからの話。ひとびとのおやはウマシアシカビヒコジ。イザナキとイザナミはふとまにで占い。生まれる島々。四国がイヨノフタナ。九州がツクシ。オホハマトトヨアキヅまたはアマツミソラトヨアキヅネワケが東北除く本州。

8つまとめてオホヤシマ。修正 オホヤマトトヨアキヅ

1020
今朝の旧約読み。サムエル記15章。アマレク人との戦いでサウルは滅ぼし尽くさず戦利品を得ようとしたためサムエルの聞く主に従わなかったことになった。サウルは従っているつもりだった。サムエルはサウルに死ぬ日まで会おうとしなかった。万軍の主といった言葉が見える。

3つやると30分になってしまうが。三浦さんの口語訳古事記読みもしたい。語りごとの前にという序文あり。この本は古事記を再現しつつも古事記を超えようとする超意欲作である。古事記が実は敗れた者たちのためにもあり、文字でなく、語りの多様性をいかした世界へ戻す作業を古老がするという設定だ。

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今朝のコーラン入門読み。アラブの生活には悪魔やジン(妖霊)が息づいていて神々より身近だった。薄気味悪い砂漠や廃墟にいて動物やヘビの姿になる。害ばかりとは限らず、狂人はマジュヌーンと言いジンにとりつかれたものを意味するも詩人にも超人的なインスピレーションあり。

カーヒン(巫者)は謎めいた言葉を用い、精霊やジンを守護霊とする。予知や裁定を日常的になした。

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1019
今日の朝活。旧約聖書読み。サムエル記14章。サウル王の息子ヨナタンは父に言わず英雄的行動をとって成功した。父の預言者的言葉を聞かず森にある蜜を食べた。息子ヨナタンは死なねばならないと父サウルに言われたが兵士から、そんな必要はない彼こそは主と共にあったんだと言ってもらえて救われた。

このときサウル王は祭壇を築いたが主は答えられなかった。あたかも主は戦乱の混乱に、または、サウルのいきすぎた命令に、民を思って困っているかのように見える。

今朝のコーラン入門読み。多分7世紀はじめ当時の宗教についてはイスラム教になる前なのだろう、古い慣習によっていたとのことで、三種類の信仰があった。天体、運命、アニミズム。石や石像。駱駝などの犠牲や人身御供。そして半島の聖地巡礼。

1018

今日の旧約聖書読み。サムエル記13章。サウル王はイスラエルの人々へ「ヘブライ人よ聞け」と言っているように、この頃この場所では、ヘブライ人と呼んでいるようだ。サウルは捧げ物を間違えたのか、サムエルに指摘される、主の戒めを破るならもう王が代替わりかもねと。

争いの相手であるペリシテ人には鍛冶屋もいたがイスラエルにはいなかったので戦いの日にすらサウルやヨナタンの兵士は剣をもっていない(鉄器の修理代は1ピム)。なおヘブライ人たちは洞窟や井戸などに逃げ隠れていた。どうなることやら。

今日のコーラン入門読み。聖域あるメッカは交易ルートの宿場町として栄えた。神聖月に商取引や政治かけひき。ゆえ、商人たちに指摘した文章があるようだ。コーラン9、悔悟の章を、50番までざっと読んでみると、たしかに多神教やユダヤ教やキリスト教という言葉や喜捨や施しといった言葉が見える。

1015

今朝の旧約聖書読み。サムエル記12章。いよいよ、8章では自分で選んだ王のために奴隷となり泣き叫ぶことになっても主は知らないぞと言われても民が望んだことで王が立てられる。でも預言者となったサウルが王を兼務することとなったのは主の親心ということなのだろうか。牧師の友人K氏に聞きたい。

預言者は小麦の刈り入れ時期に雨や雷を下せる。自然の運行とともにあった。いずれにせよ、主でない者に王を求めるのは悪なのだそうだが、それでいくことになる。

コーラン入門読み。どこの国でもそうだろうが、当時は戦乱が耐えなかった。女性の暮らしは戦乱の世では大変そうだ。神聖月では戦闘がなかったそう。日本では古代のころ。

1014

今朝の旧約聖書読み。サウルに主の霊が降りて預言する状態になる。人々は言った。サウルもまた預言者の仲間か。これがことわざになる。状態からさめて、サムエルが主に伺いをたてると王に選ばれる。サウルは背が高い。一部のならず者は従わず。攻めてっkたがサウル勝利で和解。サムエル記10、11。

今朝のコーラン入門(リチャード、ちくま)読み。ベドウィンとは自由、武勇、客人厚遇、血統を尊ぶ非常に誇り高い民である。定住農耕民を下に見る傾向があったらしい。それでもアラビア語という同じ言語が同じアラブだという意識を持たせた。

アラブ社会では部族社会であり、部族内は助けてもらえることもある。雨が降らないこともあるので水や牧草を求め移動して暮らす。兄弟の誓いとして他の部族に入れられる同盟者(ハリーフ)も居たらしい。

内村さんについて勉強になった。ちょっとうちの雑誌のタイトルを思い出したなあ。世界主義と言ってcosmopolitanismへ安易に走る気はないけれど。https://1000ya.isis.ne.jp/0250.html

1013

今日の旧約聖書読みは、主が民の声を聞き入れられ、サウルを王にするため、老いた預言者サムエルのところへ運命的に向かうところ。そもそもサムエルの息子らが腐敗したからであった。預言者のことを昔は「先見者」と言った。サムエル記9章

日本語のkindleではアラビア語の無料のは読めないのもあるが読めるのもあった。しかし完全にアラビア語であるため、どこになにがあるのか見当すらつけられない。英語とアラビア語の併記ものならいけるかも。やはり、これはいける。https://www.amazon.co.jp/Quran-Arabic-English-ebook/dp/B06W9MVBYM/ref=sr_1_42?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&dchild=1&keywords=arabic+quran&qid=1634084920&sr=8-42

今日のコーラン入門(リチャード、ちくま)読み。コーラン編纂は7世紀前半。ペルシアとビザンツが争っていたころ、ある戦争についてコーランが預言したことは何だったのか、論点になっている。見ると全く違う解釈であり驚く。30章。

コーランの日本語訳の本を棚から出したくなったが、どこだったか。アラビア語の原文も読みたくなった。kindleでは日亜のどちらも無料のがある。ムハンマドがメッカやメディナで布教活動をしていたころも二大帝国の争いは続いていたらしいが、争いの大半はアラビア半島から離れていた。

1012

今日から旧約聖書読みも再開したい。しおりがサムエル記からだった。王を立てたがる民は主を捨てるようなことだ昔からそればっかりよねと主から言われる。サムエルの困り顔が目に浮かぶようだ。

コーラン入門(ちくま文庫、リチャード・ベル)も読み始める。スコットランドのひとで、世界的なコーラン研究者とのことで、そのちくまの入門書は晩年に書かれた。7世紀ごろ、聖十字架が奪われたなんてことがあったらしい(返還されたそう)。700年も見えやすいところに持ってたのかもな。