2018年12月31日月曜日

第二講「キリスト教の史実性」塚本虎二

第二回の講義は、キリストが実際に存在したかどうかが、キリスト教の根幹に関わるという話である。なるべく手短に書きたい。

まずルカ福音書一章1-4節が引用される。全部が一文より成り優麗なる模範的ギリシャ文で書かれているそうであり、そのことは、当時のギリシャ・ローマの歴史家たちの傾向だそうである。ヘロドトス、トゥキディデス、リビーなど。ルカもまた歴史家たる抱負を持ったのだろうと塚本さんは考える。

この数行の序章は、ルカの文学的才能や教養の程度をも知ることができるから、ルカ福音書の価値を定めるにおいて非常に重要だ。キリスト教は漁夫たちのみに信じられて伝えられたのではなく、聖書記者のなかにルカという医者がいて、パウロがいて、ヘブル書の記者がある。それらの事実は聖書記事に対する尊敬と信憑とを与えるという。そして、直弟子の時代は過ぎて、今や二代目となった時代、それがルカの時代だそうであり、ルカは直弟子ではなかったそうだ。

ルカは使徒パウロの友人だった。コロサイ書にパウロが「愛する医者ルカ」と書いているそうだ。虎二さんはここで医者なら実際的で観念的ではないだろうというような書き方をしているが、当時の医者にそんなことは全くないと私には思われた。ただし、医者一般の広い意味での傾向として実際的な人が多いだろうという一般的な推測を否定するものではない。あくまで「そうとは言い切れない」と思うだけだ。

ルカはその福音書を、今まであったバラバラの資料を「順序を正しく」した面もあるようだ。バラバラの資料をという点は、旧約聖書でも同じような話があったような気がする。Q資料云々の件だ。細かいことはさておこう。そして塚本さんは次のページでしっかりとルカが歴史的に正確かどうかを吟味し始める。つまり、先の段落ではゆっくりとそういう一般論の話をしたわけであり、ご本人も別段そこまで医者=実際的という固い考えを持っていたわけではなかろう。

イエスの史実性、その最も顕著な部分が、二章1-7節だそうだ。ここが歴史的に正確ならば、イエス誕生の年がわかるとのこと。それで論争が激しく行われたそうだ。ごく簡単にまとめておくと、クレニオ総督が戸籍調査をした事実は史料で確実のようだ。しかし、クレニオがシリヤに総督であったのは、紀元後6年とのこと。「後」は、いわば、西暦6年である。ゆえ、今日の研究である紀元前5-7頃つまり、マイナス5~7年とは、計算が合わないことになるのである。紀元ゼロ年を起点として、前なのか、後ろなのか。

ほかに、戸籍調査を自分の町で行ったのか、どうかなど。エジプトのパピルスでは、紀元後6年に戸籍調査が行われたことは明確となったが、それより14年前の期限前8年に行われたかどうかであるが、そのパピルスは発見されていないそうだ。その後、「自分の町で戸籍調査を受ける」に関する物的証拠は見つかったとのこと。だからローマ政府はローマ主義ではなくユダヤ主義でそれを行政したということらしい。以上のように、曖昧不明確な点がちらほらと見受けられ、ルカの歴史家としての威信があいまいになったようである。
他方、現在においては、福音書は宣教を目的として書かれた文章であって、ナザレのイエスの伝記を記すことを目的としたものでないことがはっきりと認められ、また現代歴史学の方法論をもって古代の史家ルカを判断するのは誤りであることが認識されるに至った。(22頁)

重要な文だ。やはり福音書は目的が宣教なのだから、伝記ではないですよ、すなわち、歴史的なことを現代歴史学のように書くことを目的としたものではないですよ、ということなのである。しかもその後の塚本さんの文によれば、以下である。
これは決して非歴史的態度などと言うべきではない。福音の歴史は解釈されなければならないのである。ヨハネの言う如く、光が暗闇の中に輝いていても、暗闇はこれを理解せず、世はこれを認めないからである。(23頁)
なるほど。まだまだ当時に対する思い違いや誤解を現代人はしているかもしれないから、よくよく考えていこうということであろう。自分の理性を疑って、考え直してみることは、学的姿勢としても、とても大事なことだと思う。しかも、ただの歴史ではなく、福音の歴史とある。

塚本さんがルカ福音書やイエス伝の史実性をやかましく言うには、それが「信仰の根本」に関するからだそうだ。ある意味では、もしも、キリスト教の史実性が否定されれば、キリスト教そのものの否定に繋がるのだそうである。これはほかの歴史人物とはその存在理由が異なるからである。

歴史人物たちは、その存在がなくなっても、他の誰かがその言動なりをしたことは確実だからこその史料でもある。しかし、イエスの場合は、その存在がなくなってしまうと、キリスト教そのものに関して揺らぐということだ。
キリストが十字架上で死なず、また彼の復活が架空の夢物語であるならば、我らの救いはなく、罪は遺り、キリスト教は蜃気楼と化する。(同引用)
人は山上の説教があるではないかなどと言うかもしれないが、塚本さんはそう考えない。それらは愛の宗教であって、高き道徳教であって、キリスト教ではないというのである。どういうことを意味するだろうか。次の文で判明する。
キリスト教が真にキリスト教であって、我らの罪を洗い清め、我らに神の子となるの権を与え、我らをして永遠の命に入らしむるためには、(24頁)
目的は、罪を洗い清め、神の子となって永遠の命を得ること。
イエスがヨルダン川にて洗礼者ヨハネより洗礼をうけ、ラザロの墓に泣き、ヘルモン山上にて変貌し、ユダに売られ、ゲツセマネの園に血の汗を流して祈り、十字架上に「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫びて死に、アリマタヤのヨセフの墓に葬られ、三日目に蘇り、弟子たちに現れしことを必要とする。(同頁)
これらの歴史があることが基礎として必要である。これらがあればこそ、イエスの道徳訓や愛の戒めに塚本さんたちは耳を傾けるのであるという。すなわち、一連の歴史を経験してきたイエスだからこそ、その道徳や愛の話が意味のあるものになり、響いてくるということだ。ごく簡単にまとめれば、洗礼を受けた人が苦労して死んで蘇った、その人の言うことだから、道徳とか愛の話に効果が出た、出る、ということなのだろう。

もしも要点を図式化すれば、「死と復活」→「言葉に意味あい」となるのだから、時系列的には、逆になることを、ふと私は思った。それでは当時の人達は、どうして最初から言葉に共鳴を得たのだろう。おそらくは、イエスの起こす奇蹟か何かを、しいたげられた人々は実際に見ていたからとか感受性がそう信仰を持たせたなど、何かそういうことなのかもしれない。感性豊かな人は理屈が通らなくても一定のことを信じるときがある。むろんそれはケースバイケースで一長一短なのは、環境のせいであって本人のせいではない。

塚本さんはこうも述べる。もしも、史実性が無いならば、「世に我らほど惨なる者、また愚かなる者はないであろう。」と。そしてパウロが引用される。
キリストが復活しておられないならば、あなた達の信仰は無意味であり、あなた達はまだ自分の罪の中にいる。……わたし達ほど同乗すべき人間はない(句点なし)
そしてこう言う。
故にもしイエスが歴史人物でなくして架空の人物であるか、あるいはある学者の言う如く、天体神話の人物であるならば、わたしは即座にキリスト教を棄てる。わたしがキリスト教を信ずるは、それがわたしの罪を取り除き得る唯一の宗教であると信ずるからである。(24頁)
おどろくような表現の仕方である。それほど固い信念をお持ちなのである。いや、信仰というのだろう。とにかくそうして、塚本さんにとって、イエス伝の史実性は、キリスト教そして塚本さん自身の「死活問題」(引用)となる。

もちろんかくいえばとて、歴史家の最期の結論とかそういうことを言っているのではないというように但し書きをしてある。多々ある学説のことではなく、だれが見ても99%で間違いなく納得するほどの事実性にまで非常に高められた場合のことを言っているのだろうと思われる。いや、1%の疑いがあったら、塚本さんはその1%を信じるだろう。それほど懐疑的で、それほど信仰的なのである。この学的姿勢は良いことだと私は思う。

「信仰は神より来る」のだそうだ。そして「指」をクギの跡に差し入れの文の辺り、ギリシャ旅行で観た絵を思い出した。カラバッジオ。塚本虎二さんの意図した意味あいは、この絵に重ねて言われたことだろうか。

ただし最後の三行については意味が不明確だった。塚本さんは徹底的に疑って良いと前回の講義辺りで言っているから、私は考えることにしている。しかしこのあたりのことを、新約聖書を読んだときには、そう感じず、そのまま「ああ、こういうことか」と素直に腑に落ちた記憶がある。

福音書というものは、不思議なものなのかもしれない。


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